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活動報告   ~ 八幡のために全力で取り組みます!~

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2018年 1月 活動報告内容










閑雲軒について

 

八幡ならではの特色を考えた時に、八幡は石清水八幡宮を中心に据えての取り組みを考え、それがヒットして人気観光スポットに入ることも夢ではありません。そうなっていけば、後は近隣の何れの市や町にも引けのとらない観光スポットの多い八幡です。宇治市に来た観光客がそのまま、あるいは宇治市を素通りしてでも八幡へ来たいとする観光客が、これまた夢物語ではないと私は真剣に考えているところです。

そこに視点をおいた時に注目したのが122日に開催された

「閑雲軒について考えるシンポジウム」でした。

 

閑雲軒は石清水八幡宮に明治初期まであった宿坊である滝本坊の空中茶室です。明治の神仏分離までは石清水八幡宮は「八幡大菩薩」を祭る神仏習合の宮寺(みやでら)でした。検校(けんぎょう)、別当と言われた長官や住職は僧侶が占めていたそうです。これらの僧の住んだところが「坊」で坊ごとに本尊を祭り貴族や大名の祈祷を行っていました石清水の坊舎は江戸時代には「男山四十八坊」と称されるほど多く男山東斜面に坊舎が立ち並んでいる様子は絵図にも描かれています。

寛永の三筆と呼ばれた松花堂昭乗は社僧でもあり、小堀遠州と共に茶室を作りました。茶道具の名器や書の有名な作品も集め茶文化とおもてなしの心を備えた閑雲軒の名は広く知られていたそうです。当時の絵図を見てもイメージがわいてまいりますが男山山腹からせり出す懸け造りと説明されています。

さぞや京都盆地をはるかに見渡せたのではないでしょうか。

 

文化センターのシンポジウムではパネリストから「空中茶室を現代に甦らせ、未来へ繋いでいけないだろうか」と言った発言もありましたが、基調講演で建築家の北川原さんが話された「閑雲軒とは何だったのかを考えることが大事,期待と夢を未来に残し空中茶室のアイディアを全国や世界から募るコンペがあっても面白いし、考え続けることが復元に繋がるのではないか」と言われたことが耳に残っています。


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